天王寺らくご動物園 of 上町台地の地域情報紙『うえまち』

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第20檻 上方落語『亀の天上』                2016年6月号

歩みの鈍い ・ かめ
124042.jpg 世の中には「言うに言われぬ」ことが多い。言いたくても我慢していることの意味だ。
 蛇が、年数を経て功績を重ねると、昇天するという言い伝えがある。古池にすむ大蛇は、同じ池の亀に「俺が昇天する時には、一緒に連れて行ってやる」と約束する。その機会が訪れ、大蛇は天に昇るが、途中で亀を誘うのを忘れていたことに気付く。しかし、亀はちゃっかりと蛇の尻尾に食い付いて、一緒に昇っていた。それを蛇に知らせたいのだが、口を開けると落下するので「言うに言われぬ」。
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 助けた亀の背に乗って、龍宮城を訪れる浦島太郎伝説の原形は『日本書記』に見える。
 こちらは、玉手箱を開けて一瞬にして老人になる結末ではなく、浦島が鶴になって昇天する、という設定になっている。
 亀は一度泳いだ道順を一生覚えているという。産卵場所を記憶するためだが、鮭が川を上るのと似ている。この特技があるので、浦島を遠い龍宮城まで正確に送り届けることができたのだろう。
 仏典「阿含(あごん)経」には、「盲亀の浮木(もうきのふぼく)」という言葉が出てくる。大海にすんでいて、百年に一度だけ水面に浮き上がる盲目の亀が、海上に漂流している木のたった一つの穴の中に入ろうとすることを表現したものだ。
 こんなことは極めて確率が低いので、「容易に成就できない」の例えに使われる。
 果たして亀は鳴くのか。私は寡聞にして知らないが、俳句には春の季語として、「亀鳴く」という語句がある。繊細な人間にとっては、亀のあえかな鳴き声を捉えることが可能なのだろうが、そういう経験豊富な人を「亀の甲より年の功(こう)」と言う。
 〝かつおパック〟全盛のご時世では、鰹節には、背肉全部で作る本節と、片身だけの「亀節」があることは通じまい。食器などの汚れを取るスポンジも、その昔は「亀の子束子(たわし)」が主流だった。時の移ろいは、亀のように鈍くはない。

第19檻 創作落語『ワニ』(六代目桂文枝作)         2016年5月号

女性のお伴に ・ わに
pl-2014211214294.jpg 動物園の鰐(わに)飼育担当者が病気欠勤した日に、代役の係員が餌をやったところ、片腕をかみ切られた。園長は罰として鰐の処分を決定し、毒殺を担当飼育員に命じる。
 だが、担当者は愛着があるので殺すことを拒否し、ついには鰐を園から連れ出す。しかし処置に困り、誰かにもらってもらおうと、道行く人に懇願するが、鰐を見て卒倒する人が続出する。最後に現れた男性が気安く飼育を引き受ける。その人の名刺を見ると、「ハンドバック製造業」と書いてあった。
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 鰐の皮は高級ハンドバッグに変わり、女性の憧れの的となる。身も食用として愛好家が多い。 かつてヤクルトスワローズ所属の外国人野球選手は、鰐肉を食べた翌日には決まってホームランを打った。ちなみに彼は、友人の母親を妻にしていた変わり種である。
 鰐はのんびりと寝そべっているように見えるが、意外や俊敏で、垂直にジャンプすることができる。それを“ショー売”にしている人がいる。さらに時速20㎞で走る快足の持ち主でもある。
 日本では古来、鮫(さめ)を鰐と呼んだ。「因幡(いなば)の白兎」の物語で有名である。熱帯種の鰐はクロコダイル、北米や中国のそれをアリゲーターと呼んでいる。地域によって呼び名が違うものには、太平洋で発生する熱帯低気圧をタイフーン、大西洋発生のものをハリケーン、インド洋発生をサイクロンと区分する例がある。
 鰐にそっくりの淡水魚「アリゲーターガー」という外来種が、琵琶湖や奈良の猿沢池に生息し、在来種を食い荒らして生態系に大きな影響を与えているのは、由々しきことだ。
 伊豆の熱川温泉には「熱川ワニ園」があり、多種の鰐がずらりとそろって壮観である。温泉と言えば、青森県にひなびた「大鰐温泉」がある。
 歩く時の足つきが「鰐足」だとか、口が横に裂けた「鰐口」とのありがたくない言い回しがあるが、女優・鰐淵晴子の美しさには誰にも文句を言わせない。

第18檻 上方落語『蜆売り』                2016年4月号

朝の味 ・ しじみ
せたしじみ.jpg 母親が大病のため、寒中の早朝から川に入って蜆(しじみ)を採り、それを売って家計を支えている少年がいた。大店の旦那は、その姿に感動して全部買ってやる。この少年は、旦那がかつて助けた夫婦の子どもで、夫婦に与えた金が贋金(にせがね)だったため、父親は獄中生活を送っていることが分かる。旦那は心の中でわび、少年に大金を与える。少年は喜び、瀕死(ひんし)の父の身を思いつつ「ああ、せめて親のしじめ(死に目)に会いたい」
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 蜆を大阪弁では「しじめ」と発音する。狼(おおかみ)を「おおかめ」、狐を「けつね」、落語家・桂米朝(べいちょう)を「べえちょう」というように、大阪弁はイ音がエ音に変化する。
 明治末期までは、現在の北の新地の真ん中を「蜆川」が流れていて、そこに「蜆橋」が架かっていた。近松は「心中天網島」で、治兵衛と小春が死出の旅に渡るので、「涙川」と表現した。
 蜆は、東アジア・インド・オーストラリアでも食する。国内では、琵琶湖や河口湖で採れる瀬田蜆、本州以南の真蜆、サハリンなど北にも生息する大和蜆の3種類がある。
 関西人には瀬田蜆がなじみ深いが、島根県の宍道湖(しんじこ)では、ウナギや白魚、ワカサギなどと並んで「宍道湖七珍」として名高い。
蜆は俳句では春の季語だ。「しじみ汁かしゃかしゃ今朝も海が揺れ」(冬扇)の秀句がある。寝床の中で様子をうかがうと、妻が作るおみおつけの具は、どうやら蜆らしい。「か しゃかしゃ」と、しゃもじでかき混ぜる音が食欲をそそる。うまいだけではなく、肝臓に効く。健康補助食品として近年よく売れているという。蜆は「不死身」にも通じる。
 「虫のように見える」と書いて蜆、貝合わせに使うので蛤(はまぐり)。浅蜊(あさり)、牡蠣(かき)、栄螺(さざえ)、法螺(ほら)、田螺(たにし)と、二枚貝や巻き貝には、漢字に 虫が入る。だが同じ巻き貝のアワビは、鮑または鰒と書いて魚になる。誰か“蜆(親身)”になって、この疑問に答えていただけませんか。

第17檻 東京落語『猫の茶碗』                2016年3月号

犬と競うペット王 ・ ねこ
1603らくご動物園 猫.jpg 掘り出し物を探す旅に出た道具屋が、ある宿場茶屋でご飯を食べている猫の茶碗が高価な品であることを見抜く。店の主人がその値打ちを知らないと踏んで、猫を高い額で買い上げる。ついでに「慣れた器の方が猫も喜ぶ」と、その茶碗をもらい受けようとする。
しかし主人は「これは高価なものだ」と言って拒否する。「なんでそんな高い品を猫の茶碗にするのか」と道具屋がいぶかると、主人「こうしておくと、猫が高く売れる」。
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 猫は、紀元前からペットとして飼われていたことが、古代エジプトの壁画で知れる。ちなみにエジプト王朝には、ネコ一世・二世と名乗る王がいた。日本には、奈良時代に中国から伝わった。
 大別して、長毛のペルシャ猫と短毛のシャム猫がいる。毛の色は、黒または白、それに黒と白と茶の三毛がある。
 店頭に据える猫の置き物を、「招き猫」だとして客を寄せる、という解釈は間違いだ。猫は、男性のシンボルが後ろに付いているので「後 金(あときん)」払いが利く、つまり貸し売り可能とのメッセージで、反対に狸の陶器が飾ってある店は、「前金(まえきん)」でお願いします、という商人のたくまざるしゃれ精神の発露であることを知っている人は少ない。
 猫が十二支(えと)に入っていないのは、鼠(ねずみ)がだましたからだと昔話に見える。そこから猫は鼠を仇(かたき)とする。だから、い つも寝そべっている〝寝子〟を、四六時中〝寝ず見〟ていて警戒を怠らないのである。しかしこれは本能ではなく学習であることが分 かった。鼠が少なくなった昨今、母猫が教えないものだから、子猫は鼠に出会うとおびえるという。
 こたつで丸くなっている猫は、いつしか「猫背」になり「猫なで声」になっている。この頃、腹筋運動をしてリハビリする猫がいる。
 同性愛者の女役をネコ、男役をタチと称する。これに〝ひろし〟と付すと「猫ひろし」「舘ひろし」になる。

第16檻 上方落語『鷺捕り』                 2016年2月号

白色の勇姿 ・ さぎ
1602シラサギ.jpg 鷺(さぎ)を捕らえて商売にしようと考えた男がいた。北野の円頓寺(大阪市北区に現存)の池で眠っていた鷺を、生きたまま何羽も帯に挟んで寝てしまう。朝になり目をさました鷺は、男を連れて空中に飛び立つ。男がやっとのことでしがみついたのが、四天王寺の五重の塔の上だった。下を見ると僧侶が4人、布団の四隅を持って合図を送るので、勢いよく飛び降りる。その反動で僧侶たちは、頭をガツガツとぶつけあって命を落とす。「4人が死んで1人が助かった」
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 鷺は、鶴によく似ているが少し小さい。しかし、冬を日本で過ごす渡り鳥である点では鶴と一緒だ。世界では60以上の種類があるとされるが、日本にはこのうち20種ほどがやってくる。わが国で集団繁殖するものとしては、アオサギ・ダイサギ・チュウサギ・コサギなどがいる。
 昨年、鳥取県の米子水鳥公園にヘラサギが1羽だけ飛来して話題になった。この種は、ユーラシア大陸中部やインド・アフリカ北部に分布しているというから、どのようにして日本にやって来たのだろうか。
 われわれにとって一番親しいのはシラサギである。改修された世界文化遺産の一つ、姫路城を白鷺城と呼ぶのはあまりにも有名だ。城壁が白色であることから鷺を連想したのだろう。姫路に近い岡山城の別称は烏(う)城と言う。こちらは、黒い壁が不気味である。
 そういえば、「鷺を烏(からす)と言いくるめる」ということわざがある。全く反対のことを強弁する意味だが、「白を黒と言いくるめる」という表現もある。
 田のあぜに生える「鷺苔(ごけ)」、北海道の湿原に生息する「鷺菅(すげ)」、全国的に分布し水盤でも栽培する「鷺草(そう)」など、鷺の姿や色から名付けられた植物が多い。
 そこで、鷺によく似ているので人々が迷う鶴を「詐欺(さぎ)」と呼ぶことにする。

第15檻 上方落語『猿後家』                 2016年1月号

発達した大脳を持つ ・ さる
1601らくご動物園 さる.jpg 商家の後家(ごけ・未亡人)の顔が猿にそっくりなため、周りの者は「さる」という言葉を禁句にしていた。この家に出入りしている調子のいい男は、後家にうまく取り入って金品をせしめていた。ある日、奈良見物から帰り、名所の説明をしているうちに、つい「猿沢の池が…」と口走ってしまい、後家の怒りを買う。しかし、「いや、『寒そうの池』と申したので」とごまかしてなんとか許されたのだが、さらに後家が絶世の美女にそっくりだとやって大失敗をやらかす。「ご寮人(ごりょん)はんは、唐の玄宗皇帝の想い者『楊貴妃(よう狒狒)』に似てはります」
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 狒狒は、アフリカにすむ大型の尾長猿のことで、猿を指す言葉は他にも、えて・えて公・ましら・えんこう・やえん・しょうじょう・モンキーなど多い。
 雨戸の桟に取り付ける鴨居などの穴に差す戸締り用の木片も「猿」という。サルエビと称するエビや、薬用に供されるサルオガセという地衣類がある。猿ヶ京温泉は群馬県三国峠の麓にある名物温泉だ。
 京都大の研究グループによると、日本猿は人間同様に群れや地域ごとにあいさつの仕方が違うことが判明した。
 名古屋の東山動物園にいるオスのゴリラは、イケ面だと女性客の人気を集めるが、性格も男前で、育児放棄された娘のゴリラを育てている。
 インドで、仲間の猿の危機を救ったというニュースは記憶に新しい。アルゼンチンでは、裁判所が猿に人(?)格を認め、動物園から解放せよとの判決を下した。
 江戸期以前に発行された『人国記』には、土佐(高知県)の猿は「別して仕付けよきなり」と記し、芸が仕込みやすい能猿だと評している。
 今年は猿年。この一年どうなるか、「猿の小便」で気(木)にかかる。

第14檻 東京落語『庭蟹』    2015年12月号

甲殻類の節足動物 ・ かに
1512沢蟹.jpg 洒落(しゃれ)の分からない旦那が、風流人の番頭に、「洒落を言え」と注文する。そこで番頭は、庭に蟹(かに)が這(は)っているのを見て「ニワカニ(庭蟹)言えません」としゃれるが、旦那はさっぱり理解できない。側にいた小僧が洒落の意味を説明すると、旦那は「番頭さん、私が悪かった。もう一度洒落てくれないか」と頼む。番頭が「急に言われてもむつかしいです」と答えると、旦那はそれが洒落だと思い、「うーむ、これはうまい!」
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 蟹のおいしい季節になると、漁獲高の多い港を持つ日本海沿岸では、この時とばかりに宣伝に力を入れる。鳥取県などは「蟹取県」としゃれて、関西地方の人、さらには関西にやって来る外国人を自県に呼び込もうと派手なPRを展開する。
 蟹は、沢蟹や弁慶蟹のように淡水にすむものから、松葉蟹や毛蟹などの海に生息するものまで種類は多い。世界最大は、螯(はさみ)を広げると3m近くにもなる高足蟹で、最小は甲羅が3㎜ほどの「豆蟹だまし」である。ともに日本産というから、日本人としてはちょっぴり足、いや鼻が高い。
 特に美味なのは松葉蟹で松茸や鰻と並んで「日本の三大珍味」であろう。ちなみに世界の三大珍味と対比させると、松茸がトリュフ、鰻がフォアグラ、そして蟹はキャビアに相当する。
 蟹は「横這い」である。酒を飲ませるとまっすぐ歩くと言う人がいるが嘘だ。酔っても横に這う。成果に変化がないことにもこの言葉を用いるが、ヨコバイと称する昆虫もいる。やはり横に歩行するのでこの名が付いた。
 「蟹股(がにまた)」は、両足が外に湾曲している足を指す。赤ん坊が初めて排泄した大便を「蟹屎(かにばば)」と言うことを知る人は少ない。中国料理店の人気メニューに蟹玉があるが、中国では「芙蓉蟹(ふうようはい)」と言う。
 「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」とは、人は分相応の事をする意のことわざだが、昔話「猿蟹合戦」のように栗と蜂と臼の助けを得れば、強い猿にも勝てる。とまあ「かにかくに」そういうことです。

第13檻 東京落語『吉野狐』    2015年11月号

化かしの名人 ・ たぬき
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 権兵衛という名の男が、田舎の一軒家に住んでいる。夜になると表の戸をたたいて「権兵衛、権兵衛」と呼ぶ者がいる。開けてみると誰もいない。「狸の仕業に違いない」と、男はトントンとたたいた瞬間に戸を開けると、年をとった狸が転がり込んでくる。こらしめのため狸を丸坊主にし、「もう二度とするなよ」と逃がしてやる。ところがその翌晩もやって来て「今度は髭(ひげ)を剃(そ)ってください」。


 落語のマクラに当たる浪曲の外題付け(げだいづけ)に、こんな一節がある。
♪あった事やらなかった事やら、真実(まこと)らしくは言うけれど、それもそのはず昔の人が、行灯(あんどん)引き寄せしるした脚本(ほん)の、筆に狸の毛が混じる……
狸も狐と同様に人を化かすと伝えられていることを前提として、こんなしゃれた文句が生まれた。筆の毛には兎・鹿・馬・山羊(やぎ)が使われるが、狸が一番上等だと言う。
 商家の店頭に狸の置物や猫の張りぼてを飾る。猫は客を招くためだと思われがちだが違う。猫のオスのシンボルは後ろに付いているので「後金でもいいですよ」。反対に狸は、 前方にぶらさがっているので「うちの店は前金制です」とする、商人(あきんど)のしゃれ精神の産物である。
 現代のほとんどの劇場では、楽屋にお稲荷さんを祭っているが、道頓堀の五座(松竹座、浪花座、中座、南座、朝日座)のうち、中座だけは阿波狸を祭っていた。その中座は謎の焼失をした。五座のうち唯一火災にあったのは、この謎と関係があるのかもしれない。
 大阪弁で、狸は「たのき」、狐は「けつね」と発音する。狢(むじな)は狸の別称で穴熊の別称でもある。姿が似ているので同じように呼ばれたのであろう。
 「狸寝入り」とは、寝ているふりをしている形容だが、実際は何かのショックで狸が仮死状態にあることだ。
 ここまで書いてきたこと全てホンマなんで、皆さん眉に唾(つば)を付けて読まんといてください。

第12檻 上方落語『吉野狐』    2015年10月号

稲荷の使い ・きつね
1510らくご動物園 きつね.jpg 道楽が過ぎ、親から勘当された男。すっかり改心して、うどん屋の老主人の養子となって家業に精を出している。そこへ、かつてなじみだった遊女吉野が訪れ、「女房にしてください」と頼む。男は女の誠を信じ夫婦になった。しかし、この女性は遊女ではなく、男がその昔助けた狐で、恩返しのため人間に化けていたことが分かる。  それを問い詰めると、吉野は本来の狐の姿になって消えていく。それを見た男「ああ、吉野が信田に変わった」


 うどん屋の符丁(隠語)で、吉野葛(くず)を使うことからあんかけを「吉野」、信田の森に狐が住むとする伝説から、狐うどんを「信田」と称することが、オチに踏まえてある。
なぜ油揚げを乗せたものを「狐うどん」というかは、説明の要はなかろう。関西では、そばに油揚げを乗せると「狸(たぬき)」とメニュー名が変わるが、関東では「天かすうどん」のことを指すのでご用心。
 油揚げの中に酢めしを詰めると稲荷ずしとなる。この稲荷ずしと巻きずしのセットを「助六」というのは、歌舞伎「助六由縁江戸桜」(すけろくゆかりのえどさくら)の主人公助六の恋 人の名が揚巻(あげまき)なので、油〝揚げ〟ずしと〝巻〟ずしの取り合わせを「助六」としゃれたのである。
狐と、その好物とされる油揚げ、狐が仕える稲荷の神、この三位一体となったイメージが、われわれの生活の中に深く浸透している一例だ。
 狐が人間に化ける、人間を化かすといわれるのは、この稲荷神の使いであるという要素が強い。狂言師が修行する順序として、「靱猿」(うつぼざる)という演目で始めて、「釣狐」で完成させるのも、狐の神格化をどう表現するかが難しいからだと思う。
 色里では、娼妓(しょうぎ)のことを狐、幇間(ほうかん)は狸、芸妓は猫と呼ぶ。いずれも化かすとされる動物ばかりだ。ゼンジー北京ではないが、「だまされるの、いつもお客さん」。

第11檻 上方落語『鴻池の犬』   2015年9月号

誠心と忠義 ・ いぬ
1509柴犬.jpg ある家の門前に3匹の犬が捨てられていた。
 そのうちの1匹を、豪商、鴻池(こうのいけ)善右衛門の手代が連れ帰り、主人も可愛がって育てていた。
 そうしたある日、鴻池宅の前に、毛の抜けたみすぼらしい犬がやってくる。かつて捨てられていた3匹のうちの1匹であった。鴻池の犬は兄弟の対面を果たし、その犬になにくれとなく面倒を見る。
 善右衛門が「来い来い」と声を掛けるごとにおいしいエサを与えてくれるので、それをくだんの恵まれない犬に譲る。3度目の「来い来い」の声に、「今度はどんなごちそうやろか」と期待して走って行くと、その家の幼児におしっこをさせていた。(昔は子どもにおしっこをさせるとき「しーこいこい」と言っていた)


 犬の兄弟愛を擬人法で描く心温まる噺(はなし)だ。この物語のように、「喋る犬」を訓練させたのが、あのヒトラーである。軍事用に必要と考えたらしいが、この実験は失敗した。しかし、犬は500語近い単語を理解することが可能だという。だから、犬は人間の心の癒しとして、誠意と忠義の心を持って接してくれる。
 「人間は裏切るが、犬は裏切らない」と、ペットの王様として、絶えず人間と生活を共有している。「忠犬ハチ公」の美談は、今も私たちの心を打つ。
 だが、有り難くないレッテルも付いている。「犬わらび」「犬たで」のように〝似ているが違う”場合や、「犬医者」「犬ざむらい」など〝くだらない”ことの象徴にも使用する。
 聴覚と嗅覚に優れ、一度かみついたら離さないことから、警察官を揶揄(やゆ)する。ちなみに彼らをデカとも称するのは、明治初期に刑事が角袖の着物を着用したことから、カクソデのカとデをひっくり返したものである。
 「犬猿の仲」とは2人の関係が悪い例えだが、実際に犬と猿の間はそんなに険悪ではない。ただ、NHKは犬が嫌いらしい。「犬、あっち行け!(NHK)」。

第10檻 上方落語『象の足跡』   2015年8月号

陸上最大の哺乳動物 ・ ぞう
1508らくご動物園 ゾウ.jpg 雪上に残る象の足跡を見ただけで「この象は、左目の悪いメスで、お腹にオスの子を持っている。さらに1人の女性が象の後を追っている」と断言する。予言通りだったので、その根拠を尋ねると「左の足跡の深さが深い。これは左腹に子を孕(はら)んでいる証拠」などと、明確な理由を挙げて分析する。
 「では女性が追っているのはどうして分かる」とさらに問うと「雪の中に小便の跡があって、その人の足跡の後ろ側に小便の跡があった」


 陸上に生息している哺乳動物の中でもっとも巨大なものが象で、インド象と性格の荒いアフリカ象の2種がある。日本の動物園には、おとなしいインド象が来日しているが、太古の 日本列島にはナウマン象がすんでいたことが化石によって証明されている。藤ノ木古墳の埋蔵品の中にも象の彫刻が見える。
 日本に象がいつ移入されたか諸説あるが、一般には1729年(江戸中期)に京都に来日したとする。
京の七条に現存する養源院という寺の杉戸絵には、絵師の俵屋宗達が描いた象の姿が伝わっている。宗達は想像で描いたと言われるが、なかなかどうしてリアルな絵姿で、迫力がある。一見をお勧めしたい。
 京に象が来た頃、「象の饅頭(まんじゅう)」なるものが売り出されたという。今のパンのことで、象が好んだので、餡(あん)のない饅頭として発売したらしい。商魂は今も昔も変わらない。
 巨大な体と並んで鼻が長いのも象の特徴だ。首の長さではキリンが一番。足は鶴、手は猿(手長猿)と相場が決まっている。大阪市の地下鉄・動物園前駅にある動物園のポスターに「キリンが首を長くして待っています。象も鼻を長くして待っています」とある。ほほえましいキャッチコピーが目に付く。目に付くと言えば、「鼻に付く」という慣用句もある。
 ちなみに「鼻―」の句は、高い・曲がる・あしらう・掛ける・打つ・折る・突き合わせる・突く・鳴らす、と多い。まだある。男性の読者のあなた、「鼻の下が長い」。

第9檻 上方落語『鰻屋』       2015年7月号

高値の花・うなぎ
1507うなぎ.jpg 新米の鰻屋が開店した。早速やって来たお客は、オヤジの腕前のなさを見抜いて困らせてやろうと、店頭で泳いでいる飛び切り元気な鰻を指定して、「これで料理してくれ」と注文する。オヤジは悪戦苦闘してやっとのことで捕まえるが、鰻は指の間を擦り抜け、前へ前へと逃げる。オヤジは鰻と一緒に店を出て町内をひと回りする。「おやっさん、どこへ行くねん」と冷やかすと「うーん、鰻に聞いてくれ」


 ご存知の『鰻屋』だが、「鰻」という漢字の由来や、町名「鰻谷」のいわく因縁を説明する『鰻谷』など、上方落語に鰻が登場する頻度は、鯛・鯉と共に高い。いずれも庶民にとって高嶺の花ならぬ高値の花である。
 鰻の生態がはっきりしておらず、養殖などの手立てが遅れていることが原因である。鶏肉で蒲焼きの味を出すメニューが登場したし、近々に鰻味の鯰(なまず)を改良するとの報告もある。
 鰻の料理法は東西で違う。大坂焼は、腹から裂いて一尾ごとたれに付けて焼く。江戸焼は、背開きして幾切れかにカットし、一度蒸した上で焼く。武士の街の江戸では、腹から切ることは切腹を意味して縁起が悪いとの配慮があるから背開きになったという。
 今日では重箱で食べる鰻重と丼で食べる鰻丼の区別しかないが、本来の鰻重は2段の重箱の上段に蒲焼き、下段に白ご飯を詰めるのが正式である。
 蒲焼きにした後の余った頭だけを「半助」という。豆腐と一緒に煮るとうまい。1円を円助と称した時代に、その半分の50銭で売られたので半助と呼ばれたという説と、明治期の大部屋歌舞伎役者尾上半助が考案した料理だとの説がある。
 突然ですがクイズです。讃岐(さぬき)の兎(うさぎ)に菜(な)を食べさせるとどんな動物に変身するか。答えは「鰻」である。

第8檻 上方落語『池田の牛ほめ』  2015年6月号

神仏に深い縁・うし
1506牛.jpg 小遣いに困っている男、池田(大阪府北部)の伯父さんが家を建てたので、その普請(ふしん)を誉め、相手を喜ばせて小遣いにありつくことを、友人から教えられる。天井・畳・床の間・便所に至るまで誉め言葉を友人の指示通りにメモして乗り込む。伯父さんが一番悩んでいる床柱の節穴には「秋葉はん(秋葉神社)のお札を貼っときなはれ」と妙案を出して、見事小遣いにありつく。
 だが調子に乗って、庭に繋いであった牛を誉める。牛が思わず糞(ふん)をしたので、男「あの穴にも秋葉はんのお札を貼っときなはれ」


 この男が誉めた優秀な牛の条件は6つある。
 まず、天角(てんかく・角が空を向いている)。地眼(ちがん・目が地面をにらんでいる)。一黒(いっこく・毛が全て黒い)。鹿頭(ろくとう・鹿のようになめらかな頭)。耳小(じしょう・耳が小さい)。そして歯違(はちごう・歯がぐいちになっている)である。
 牛を見る機会があれば、この条件を当てはめて評価されたい。牛は天神様、菅原道真公のお使いとして有名だし、「牛に引かれて善光寺参り」のことわざがあるように、神仏との縁が深い。
 それだけではない。馬と同様に労働の良きパートナーだし、肉やミルクを提供してくれる。その上に闘牛として娯楽にも供してくれる。生きている時は「うし」、食用にする場合は「ぎゅう」と読み分ける。こうした例は多い。魚(うお)は「さかな」となるし、卵は調理すると「玉子」という字を当てる。鶏(にわとり)も「黄鶏(かしわ)」と名を変える。これを夢路いとし・喜味こいしの漫才では「にわとりの戒名だ」と珍解釈する。
 牛肉は豚や鶏より、はるかに高価である。最上級のA5ランクの肉が我々の口に入るのは夢のまた夢だ。「私はコカンセツしか食べられない」と嘆いた人がいたので、調べてみたら、「小間切(こまぎれ)」のことだった。

第7檻 上方落語『鯉舟』     2015年5月号

富の象徴・こい
1505鯉01.jpg 髪結い(かみゆい・美容師のこと)の男、知り合いの若旦那に頼んで、網打ち(あみうち)に連れて行ってもらう。
 捕獲した鯉を船上で食べようと、船べりに鯉を乗せ、剃刀(かみそり)でひげをそるような格好で包丁を持って鯉の片身を撫でる。しかし鯉は急に跳ねて、川の中に逃げてしまった。
 困り果てていると、くだんの鯉が顔を出して、髪結いの男に言う。「親方、今度はこっちゃ側も頼んまっさ」


 鯉は口ひげが二対ある。そこから発想されたオチだ。食用でもあり、観賞用でもある魚で、高価なものは何百万円もする。その鯉が何十匹も庭に泳いでいる豪邸を夢見る人は多い。せめて庶民は、子どもの日に「鯉のぼり」を立てて、うさを晴らしたいのだが、林立する高層ビル街では、その夢もままならない。
 そんな我々の生活に身近な存在なので、魚ヘンに里の漢字を当てたのであろう。「鯉のぼり」を飾る風習は、「鯉の滝登り」の故事から、子どもが立身出世する親の願いを込めてのことである。この故事は、中国の黄河中流にある「竜門の滝」を鯉が登ると竜になる、という伝説が踏まえてある。滝から水(サンズイヘン)を取ると竜になる。漢字は良くできている。
 昨年、「流行語大賞」のベスト10に「カープ女子」が入った。プロ野球の赤ヘル軍団「広島東洋カープ」の熱狂的女性ファンのことを言う。では、なぜ赤ヘルをカープという愛称で呼ぶのか。これは、毛利元就の居城であった広島城を、「己斐(こい)城」もしくは「鯉城」と称したことから来ている。ちなみに「carp」は単複同形と言って、複数でもsを付けない珍しい単語である。従って「カープス」とは言わない。
 「鯉の季節」は「恋の季節」でもある。誰だ!「コイはコイでも金持って来い」なんて夢のないヤツは。

第6檻 上方落語『雁風呂』     2015年4月号

小枝を抱いた渡り鳥・がん
1504らくご 雁.jpg 水戸黄門が諸国漫遊の途次、掛川の宿で狩野探幽の描く屏風絵を見て、意味が判然としない。「これは“雁風呂”の絵です。雁が日本に渡って来る時、波の上で休息するために各自一本ずつ小枝をくわえて来ます。半年後、置いてあった元の場所からその小枝をくわえて帰る折にたくさんの小枝が残ります。その本数だけ、この地で死んでしまったのです。土地の人は供養のために、この小枝で風呂を炊き、雁をしのぶという風習を描いたものです」と説明したのは、武士に貸金をしている二代目淀屋辰五郎であった。
 黄門の口利でやっとお金が戻った辰五郎「雁(かりがね)の話をして借金(かりがね)が返った」


 雁は、詩歌に詠まれる時は“かり”、また雁の鳴き声を“雁が音”として“かりがね”と表現することもある。
 この噺に描写されたように、雁は渡り鳥である。春から秋にかけて飛来するツバメやカッコウのような夏鳥、シギ・チドリに代表される旅鳥、国内を移動する漂鳥(ひょうちょう)そしてひと冬を日本で越す冬鳥があり、代表が雁で、他にツル・サギ・カモがいる。
 何千㎞に及ぶ飛行ルートをきちんと記憶していて、必ず集団で行動する。一列に並んで飛ぶ最後尾は父ドリであるというから、家族の絆の堅さを学びたい。
 雁は川や池に棲む水鳥である。海の主役はカモメやウミネコのような海鳥だ。こんな歌を思い出す。「唯見ればなんのことなき水鳥の足に暇なき我が思いかな」北辰一刀流の考 案者千葉周作の人生訓である。水鳥は目の触れぬ水面下で懸命に足を動かしているので沈むことなく、他人には悠々と泳いでいるように見える。われわれも人知れず努力をして 泰然自若としていよう、という達人の境地だ。「夜降る雪は積もる」という句と好一対である。
 今春、翫雀を改め、四代目中村鴈治郎の襲名披露があった。上方歌舞伎の大名跡をより大きくするためにも、雁つながりで「足に暇なき」心根を範としてもらいたい。

第5檻 上方落語『鹿政談』     2015年3月号

南都の守り神 ・ しか
1503らくご動物園 鹿.jpg 奈良に住む豆腐屋は、店先で雪花菜(おから)を食べている鹿を犬と見間違えて殺してしまう。鹿を殺すと死罪だとの決まりがこの街にはある。まだ起床していない家の軒先に死骸を置いて知らぬ顔を決め込む者が多い中で、この男は正直に奉行に申し出る。奉行は何とか助命してやりたいと考え「これは犬である」と助け船を出すと、鹿の守り役が異議を唱える。そこで奉行は「餌料(エサ代)が十分に出ているのに、なぜ雪花菜を食する。その方が着服しているからではないか」と切り返して、めでたく無罪を宣告する。奉行が豆腐屋に「〝きらず”(雪花菜の別称)にやるぞ」とほほ笑むと、豆腐屋「へい、 〝まめ”で帰れます」


  奈良の街では寝坊の家は、鹿の死骸が放り込まれて災難が振りかかることが多い。そこから「奈良の寝倒れ」という言葉がある。これは、京の着倒れ、大坂の食い倒れ、堺の履(は)き倒れ、江戸の建て倒れ、美濃の系図倒れ、と対句で使われる。
 春は眠い。鹿の春も、雄は角が生え変わるし、雌は出産間近で、雌雄ともに物憂い季節である。
 俳句の春の季語に「孕(はら)み鹿」「落とし角(づの)」があるほどだ。「たよたよと雄にかくれけりはらみ鹿」(大江丸)、「小男鹿よ手拭貸さん角の跡」(一茶)などの名句が残る。
 間違いをどこまでも押し通すたとえに「鹿を指して馬と為(な)す」ということわざがあるが、 ご紹介した噺の奉行は「犬と為す」ことで名判決を下した。地裁に当たる「遠国(おんごく)奉行」であるこの奉行も、評価を得て東京高裁である「江戸町奉行」の座が待っていよう。
 鹿は春日大社のお使いとして南都になくてはならない動物だ。だが近年、世界遺産・春日山原始林の広葉樹の「ナラ枯れ」は、鹿が下草を食べてしまうことが一因との調査結果が出た。
 何とか「鹿せんべい」でお腹を膨らませてはくれないものだろうか。

第4檻 上方落語『池田の猪買い』  2015年2月号

夜の帝王・いのしし
1502いのしし.jpg 淋病(りんびょう・性病の一種)を治すには、精のつく猪の肉が効くと聞いた男は、池田(大阪府北部)の猟師宅を訪ねる。新鮮な肉が良いと教えられているため、男は3日前の肉でも納得しない。猟師は仕方なく、男を連れて山中に猪を撃ちに出る。やっと1匹を仕留めるが、それでも男は「本当に新しいか」と信用しないので、怒った猟師が猪を鉄砲の尻でたたく。仮死状態だったため、その衝撃で逃げ出すのを見て猟師、「客人、ほれこの通り新しい」。


 厳寒の夜には、最も脂が乗った冬の猪肉の鍋がお勧めだ。一般には「ぼたん鍋」と言う。皿に美しく盛られた白と赤のコントラストが牡丹(ぼたん)の花びらに似ているという説がある。馬肉はさくら、鹿肉はもみじに例える。食べ物を花の名で表現することは多い。
 飯米を軽くつぶし、あんやきな粉をまぶした餅を、牡丹の咲く季節には「牡丹餅」(ぼたもち)、萩の折には「御萩」(おはぎ)と言い分けるのは、日本語ならではの優雅さである。まさに「日の本は言葉幸はふ国なりき」だ。
 この伝で、猪も野猪(やちょ)、しし、のあらし、のじし、山くじらなどの呼び名がある。「猪突猛進」(ちょとつもうしん)という成語は、猪が向こう見ずに突き進む性向から来ている。
そこから、戦場で果敢に振る舞う侍を「猪武者」と称した。もっとも、猪は夜行性だから周りは何も見えない。前進するしか手はないのであろう。
 危険が迫ると水に飛び込んで逃げる習性もある。だから泳ぐことができる。猪を家畜化した豚も同じように泳ぐ。猪は陸上では100m8秒で走る。人間より断然早い。では、木に登れるか。「豚もおだてりゃ木に登る」と言うから猪もおだてて実験してみよう。きっと身体能力抜群であるから、高い所も征服可能だと思う。あなたが「猪首」(いくび)をかしげて考えることはない。

第3檻 上方落語『鶴』       2015年1月号

瑞光のシンボル・つる
1501丹頂鶴.jpg ある男、鶴の命名の由来が知りたくて町内の長老に教えを請う。大昔、「首長鳥(くびながどり)」と呼ばれていた鳥のオスが「ツー」と飛んで来て、次にメスが「ルー」とやってきたので「ツル」となったと説明を受ける。
 男は早速その知識を友人にひけらかす。だが、「オスが『ツルー』と飛んで来た」とやったものだから、友人に「メスはどうした」と冷やかされ、男は「うーむ、黙って飛んで来よった」


 「まぶしさの鶴おちてくる北は紺」(宇多喜代子作)―紺碧(こんぺき)の空と白い鶴の対比が鮮明な初春の句だ。「鶴は千年、亀は万年」といって長寿の象徴であり、瑞兆のシンボルでもある。
 北海道にすむタンチョウヅル、九州のマナヅル、九州や中国に生息するナベヅルの3種が日本には飛来する。天王寺動物園では、昨年7月に希少種のナベヅルのひな一羽が誕生して話題を呼んだ。鹿児島県出水市に今冬やってきたマナヅルとナベヅルは1万4378羽だと発表された。
 ご紹介した落語のストーリーはあながち荒唐無稽ではない。オスの鳳とメスの凰で「鳳凰」と呼ばれるし、中国の想像上の動物「麒麟」も、オスの麒とメスの麟が合わさった名前である。
 鶴にまつわることわざはたくさんある。前述の「鶴は千年」もその一つだし、つまらない所に不似合いに優れたものが混じっていることを「掃き溜めに鶴」と例える。「鶴の一声」も本来は「雀の千声・鶴の一声」と表現すると理解しやすい。つまり雀が千声鳴くより鶴の一声が勝るという意味である。
 いつの頃からか、鶴が松に巣作りをすると信じられていて、セットで描かれることが多い。落語家にも「笑福亭松鶴」という名跡がある。しかし実際は鶴ではなくて、よく似ている特別天然記念物の鸛(こうのとり)なのだ。
 ともあれ、今年も平和な年であるように「折鶴」を折って祈りを込めたい。

第2檻 上方落語『馬の田楽』    2014年12月号

労働と娯楽の友・うま
1412らくご動物園 馬写真.jpg 車に味噌樽を積んで馬に引かせ、先方に届ける仕事の馬子(まご)が、ある店先で長話をしている間に、近所の子どもらのいたずらに驚いた馬が車ごと逃げてしまう。馬子は道行く人たちに馬の行方を尋ねるが、ようとして知れない。ついには酔っぱらいにまで声をかける。  
「味噌を付けた馬は知らんかね」「あっはっは、わしゃ馬の田楽(でんがく)は見たことない」


 うま年もあとわずかだ。馬は、我々の身近な存在として、かつては農耕や運搬などの労働の良きパートナーであった。現在では国も認める賭け事である競馬の主役として我々を楽しませてくれている。
 その上、牛や豚よりも高タンパク、低カロリーの食材として、熊本や長野のような山岳県の特産品になっている。
 どこまでも人間に仕えてくれる優しくて温和な動物なのだ。
 最も標準の毛の色は「青」と呼ばれ、馬の代名詞にもなっている黒色。栗色の「栗毛」。それに「白馬」や「縞馬(しまうま)」に大別される。
 とにかく力が強い。だから工業の分野で仕事率を表す単位に「馬力」という言葉を用いる。「仏馬力」は736W、「英馬力」は746Wに1馬力を換算する。ちなみに日本では、一般にフランス方式を採用している。
 普通、馬は一頭と数えるが、人が騎乗すると「一騎(き)」となる。その場合、足の速いものは「駿馬(しゅんめ・しゅんば)」「汗馬」「良馬」「名馬」とたたえられる。対極の馬には「駕馬(どば)」「鈍馬」というありがたくない名前が付く。
 坂本龍馬の名前は、駿馬と同じ意味で、この場合「りゅうめ」「りょうめ」「りょうば」と読むが、坂本は「りょうま」だ。将棋で角の成ったものを龍馬とも言う。
 神に奉仕する「神馬(しんめ)」にちなみ、願い事をする時「絵馬」を奉納する。
 こんな尊い動物なのに、「ばか」を「馬鹿」と表記する。本来は「莫迦」と書く。難しいので安直に「馬鹿」と当てるやつこそ「バカ」だ。

第1檻 上方落語『動物園』     2014年11月号

1411ライオン画像.jpg 全国に動物を連れて回る移動動物園のトラが死んだ。やむなくぬいぐるみで代用することになり、高額な謝礼にだまされて、ある男がトラの皮の中に入る。
 肉食なのにパンを食べて見物の子どもに不審がられながらも、おりの中でぶらぶらしていると、場内アナウンスが聞こえてくる。
 「ただ今より、百獣の王ライオンとこれまた猛獣の1411トラ画像2.jpgトラとの一騎打ちをご覧いただきます」とのびっくりする内容だ。  
 男は、ライオンに食われるかと震えていると、ライオンがそばに近づいてきてトラの耳元でささやく。
 「心配すな。俺も雇われたんや」


 天王寺動物園のライオンやトラもスターだ。ともに強烈な個性を放ち、獰猛(どうもう)な動物として恐いもの見たさの人たちの根強い人気を集めている。
 共にネコ科で、ライオンがアフリカやインドに生息し、トラはアジアに多い。その一例が戦国の武将・加藤清正の虎退治。秀吉の朝鮮侵攻の折のエピソードとして有名である。
 ライオンは和名を「獅子」という。唐獅子牡丹(からじじぼたん)は、入れ墨の絵柄として名高い。花札にも獅子と牡丹の花はセットで描かれる。
 低くて小鼻が開いた鼻を、ライオンに似ているので「獅子鼻」と称する。お笑いタレントのたむらけんじの得意芸は獅子舞だ。
 ライオンは群れをなすが、トラは単独で行動する。阪神タイガースのチームワークのなさは、本家のトラの生態に原因がある、と全く当てはずれの説もある。
 さて、ライオンとトラはどちらが強いのか―。
 しかし、これらの猛獣よりもっと獰猛(どうもう)な動物がいる。ワシントンの「獰猛動物園」の出口に等身大の鏡があって、帰る我々一人一人の姿を映し出す。その鏡の側面に説明文が付してある。「この動物は世の中で最も獰猛である」

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